消費者金融の歴史覚えてますか

消費者金融の紆余曲折歴史にはどのようなものがあったか覚えてますか

消費者金融の歴史はヤミ金と騒がれる以前から始まっています。バブルの時代が終わり、誰もが儲かるという夢のような日々が嘘のようになったころ、ヤミ金融は、お金で心の穴を埋める人たちの隙間に入り込みました。その方法は、まだ公の情報共有機関が無いとき、小規模の金銭貸付業者同士で消費者の情報をやりとりし、返済日が近づくと別の業者がその消費者に近づき、返済のための借り入れをさせるという手口で借金をどんどん膨らませさせて上限の無い金利で儲けるという手口でした。その方法でどんどん借金を繰り返す消費者が居ることもわかり、ヤミ金融は儲け、ここぞとばかりに業者間の競争が始まったのです。その渦に呑まれていったのが消費者ともいえますが、消費者側も、簡単に借りられることに感覚が麻痺していき、過度な借金依存体質となって行ったのです。こうなるともう抜けるのは困難で、夜逃げか破産、ともすれば自殺まで追い込まれるという社会問題に発展したのです。

そこで国がいよいよ消費者を守らなければならない、消費者は自分で自分が守れないということに気づき、段階を踏んで2010年6月18日に貸金業法が完全施行となり、総量規制が導入されることとなりました。総量規制は、消費者を悪徳融資会社から守るという目的もありますが、消費者の借金依存を無くさせるという目的もあります。ヤミ金に苦しんだ時代のさまざまな出来事は、決して業者だけの責任ではありません。依存体質に気がつかない消費者の責任でもありました。

そして月日が流れ、総量規制の年収の3分の1の借り入れが可能という制定からも抜け穴を見つけ、借りよう、貸そうという消費者と消費者金融との思惑がまた新たな負のスパイラルを作りつつあるのが現代です。

総量規制と同時に導入されたのが上限金利の引き下げです。ですから、バブルの後に出てきたヤミ金のように、融資側が勝手に高金利を吹っ掛けるということはできなくなっていますが、その代わりに総量規制対象外の不動産担保ローンなどを利用して多額の借金を負わせたり、長期間の返済に設定し、同じく長期間の金利収入を得るというパターンの借金生活が増えてきています。

この消費者金融と消費者の紆余曲折の歴史には、互いの依存関係が常に関係しています。ほんの2~30年の間の繰り返しを見ただけでも自律できない消費者に問題があると思われてなりません。